会長声明・意見
安倍晋三元内閣総理大臣の国葬に反対する会長声明
2022/09/01
2022年(令和4年)7月8日、安倍晋三元内閣総理大臣(以下、「安倍氏」という。)が、参議院選挙候補者の街頭応援演説中に銃撃され非業の死を遂げられた。地元山口県選出の政治家の突然の逝去に対して当会としても心よりお悔やみ申し上げる。動機が何であれ、尊い人命を奪うことが許されないのは当然のことであり、さらに、選挙演説中の政治家への暴挙は民主政の過程に対する重大な脅威でもあって厭忌すべきものであることは、当会のみならず多くの国民が思いを共有したものと思われる。本声明において、改めてこの度のような暴挙が二度と行われてはならないと表明するところである。
しかしながら、岸田内閣が安倍氏について「国葬」を本年9月27日に行うことを、閣議決定だけで実施しようとしていることは、以下のとおりその法的根拠に問題がある上、憲法理念上の重大な懸念もあり、国民の間でも大きく意見の対立を生んでいる。
このように法的な問題点が指摘され、意見も分かれた状況のままに「国葬」が強行されることは、個々人が持つ弔意と暴挙に対する厭忌の思いに水を差すものとも言える。
2 「国葬」の法的根拠に疑問があること
明治憲法下では天皇の勅令である国葬令に基づき「国葬」が行われていた。しかし、国葬令は「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」第1条により1947年(昭和22年)12月31日をもって失効した。
その後、1967年(昭和42年)に吉田茂元総理大臣の「国葬」が実施された際には水田三喜男大蔵大臣が「法令の根拠はございません」と答弁していた。
1975年(昭和50年)の佐藤榮作元総理大臣の死去に際し「国葬」の実施が検討されたときも、法的根拠が明確でないとする当時の内閣法制局の見解等が示されるなどして、結局、「国葬」は行われなかった。その後は、歴代元総理大臣の死去に際し、「国葬」が検討されたことすらなかったのである。
これに対し、今回、政府は「国葬」を行う法的根拠について、内閣府設置法(1999年(平成11年)制定)第4条第3項第33号で内閣府の所掌事務とされている「国の儀式」として閣議決定をすれば実施可能との見解を示している。しかし、内閣府設置法は内閣府の行う所掌事務を定めた組織規範にすぎず、しかも、内閣府設置法を立法する際、「国の儀式」に「国葬」が含まれるか否かが議論された経過もない。「国葬」を行うためには、別に要件と手続を定めた実体的規範が必要なのであって、内閣府設置法が「国葬」という具体的儀式を実施する根拠規範になるとまでは解し難い。
そもそも、「国葬」の法的根拠がたまたま存在しない=「空白」なのではなく、日本国憲法の下、存在していた国葬令を廃止し、「国葬」を復活させる立法的手当がなされず、1999年(平成11年)の内閣府設置法制定に前後しても敢えて議論もされない状態が続けられてきたのである。これら経過に鑑みれば、現行法体系は「国葬」を行わないという意思を明確に表しているものと解すべきである。
3 憲法理念上の重大な懸念
第1に、日本国憲法は、個人は個人として等しく尊重されること、すべて国民は法の下に平等であることを主要な理念とする(第13条及び第14条)。「国葬」は、国家が特定の個人の死を特別に扱うものであって、人の死、ひいては人の生命の価値に軽重をつけることにつながりかねない。
第2に、「国葬」実施の際に、行政機関や教育機関が、弔旗の掲揚、黙祷など、事実上、国民に対して弔意を強制することが懸念され、またメディア等の対応によっては社会的圧力による弔意の強制となりかねないことが懸念される。また、戦前・戦中に行われた「国葬」では戦意高揚に用いられたと思われる歴史的経過もある。したがって、「国葬」の実施によって、個人の思想及び良心の自由(第19条)が侵害され、さらには平和主義の理念がないがしろにされかねないという疑念もある。
第3に、財政上の問題として、予め年度予算で審議・検討しておくことが困難なものであるとしても、実体法の制定に併せて規則・政令において支出するべき細目等に関しては明示し、過大なもしくは恣意的な支出とならないよう、民主的なコントロール(財政民主主義)を及ぼすべきであるのは当然である。
4 結語
以上のとおり、「国葬」を行うことには法的根拠に疑問がある上、憲法理念上も重大な懸念があることから、当会はこれに反対するものである。
2022年(令和4年)8月25日
山口県弁護士会会長 田中礼司